さよならがんじがらめ

イギリスにMBA留学中の広告クリエーターの日々のこと

我ながらホントに惜しいと思う

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春をぶっ飛ばしてリーズにも初夏が到来!と書いたのに今日は凍える寒さに震えてました。あまかった。

 

授業の方はいよいよ2学期も終盤。ゴールが見えて来たことで、ちょっと寂しい気持ちになっています。課題や試験を重ねるごとに勉強の習慣が徐々に積み上げられ、毎日の平均勉強時間が、最初の頃よりだいぶ伸びている気がします。逆に、夜や休日に1日何もしないと少し罪悪感を覚えてしまうのは、ややよくない兆候かも知れませんね。

 

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先日、プレゼンが大成功をおさめた話を書きました。その後もマーケティングの授業では自分が作って提出したプレゼンスライドが出回り、みんながその構成をコピーするというプチ・フィーバーが起きました。スライドのちょっとしたデザインテクニックなんかも質問を受け、教えてあげたりしました。

 

イースター休暇あけ最初の週に、その授業の2回目のプレゼンが回ってきました。いろいろあってチームメンバーが1人欠けてしまったものの「残りの3人で今回も頑張ろう!!」とは正直なっていませんでした、、、。前回、頑張ったし、休みあけで課題も山積みだし、適度にリラックスしてやろうやと言うテンションでのぞみました。

 

結果から言うと、また大絶賛。明らかにかけた時間は少ないしボリュームも少ないのに、ベストなプレゼンテーションだったと教授からはベタ誉め。その夜、パブに飲みに行った際にもたくさんのクラスメイトから「良いプレゼンだったよ」と声をかけられました。もちろんうれしいです。でも、正直、そこまで努力をしてやりきった感じはないので、拍子抜け感はあります。

 

成功を分析すると、いくつかの要素が浮かび上がってきます。1つは「構成力」。これは日本人が得意な能力なのか、広告出身の人間が得意の能力なのか、自分の特技なのかは分かりませんが、確かに他チームとは大きく差があります。普段、広告のプレゼンで他人のプレゼンを見る機会が少なく比べたことがあまりありませんが、確かに自分のプレゼンは分かりやすく出来ているかと思います。自分がプレゼンを聞く視聴者の気持ちになったことを想定すると、構成が明確に見えると、今、自分がどこにいるのかが分かりやすくプレゼンターに置いていかれることがないので、構成を分かりやすく構築することはもちろん、その骨組みを意識的に強く見せていくようにします。

 

「視聴者の気持ち」という言葉を使いましたが、それが2つ目のポイントです。これは、広告屋さんの競合プレゼン慣れの結果だと思いますが、楽しかったり驚きがあったりすればプレゼンの内容が聞いている人にすっと入り込みます。当然、楽しければ印象も良いです。せっかく聞いてくれている人を、お客さんだと思い、プレゼンのステージの上から楽しませてあげようと準備することです。

 

最後は小さいようで、なんだかんだ一番即効性が高いのが「デザイン」です。今回は労力をあまりかけたくなかったので、基本は白い背景にグレーの文字(黒じゃない)とシンプルなデザインにしたけれど、ちょっとしたレイアウトやフォントの大きさの使い分け、表やグラフの見やすさ、キーカラーの使い方などがプレゼン全体のクウォリティに影響します。妙に労力かけて凝ったプレゼンをしてくるチームもあるのですが、例えば背景が上から黄色から真紅のグラデーションで、黄色背景のところは文字が読めるんだけど背景が濃くなると文字が読めないとか、残念な感じです。ソフトのエフェクトに酔った動きすぎプレゼンもよくないですね。個人的にデコり過ぎたものは、それこそ構成が見えにくくなるので好きではありません。偉そうに言えば、シンプルの中でいかに洗練させるかです。自分はデザイナーではありませんが、アート作品を作るわけではありません。視聴者の気持ちになって、構成が分かりやすく、伝わりやすくするにはどうしたら良いかを考えてレイアウトするだけです。あえてポイントを3つに分けましたが全ては連動していますね。

 

たったそれだけのことで褒められた!とも思うけれど、それだけのことができる人がなかなかいないと言うことかも知れないと、たまには自分に自信を持ってみることにしました。海外では謙虚さなんて気持ち悪さにしか伝わらないとも言うし。そして、そう考えると急に自分が惜しいヤツに見えてくるのです。自分を客観視した時、あと英語さえ問題なければ、どれだけ活躍できるか。毎度、ここに戻って来てしまうけれど、ホントにこれがネックです。残り数ヶ月、むしろMBAの勉強より日常英会話に注力すべきなのかも知れないと思いはじめています。

 

初夏の到来とタトゥーの話

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リーズに春をすっとばして初夏が到来しました。2週間前に雪が降ったのに、気温にグラデーションはなく、一気に暑い。コートから一足飛びにタンクトップに着替えた学生たちはキャンパスにある芝生に座る座る。花見の季節の日本か?と勘違いしてしそうなほどに満員の芝生。天気のせいか服装だけじゃなく表情も華やいだ感じで、キャンパス全体が活気に満ちた印象です。

 

 

特に女の子たちは肩やへそ出しは当たり前。お腹がたるんでようが、お尻の割れ目が見えてようが、全然、気にしないようです。ほぼ下着のような格好で闊歩しており、おじさんは目のやり場に困ってしまいます。さらにギョッとするのが、結構な確率でドーンと大きなタトゥーが入っています。こっちの人は、男女年齢問わず、体感としては半数以上の人は何らかのタトゥーが入っていますね。こないだ話した学部生の子は「髪の毛の色を染めるのと大差はないよ」なんて言っていたけど、ホントでしょうか?

 

個人的に好きで見ているタトゥーのTV番組があるので、それを紹介したいと思います。火曜の夜にやっているのですが、舞台は街のちょっとおしゃれなタトゥーショップ。そこに若気のいたりで入れてしまったタトゥーを持った人が訪れ、そのタトゥーを見せ、入れた際のエピソードを紹介します。まさに「若気のいたり」という言葉以外で表せないような、呆れてしまうタトゥーととほほエピソードの数々。結婚を機にとか、親になったからとか、、、大人の階段を上った彼らは、若い日の勢いを後悔しています。

 

ここですごいのが、その話を聞いた3人のタトゥーアーティストが、その場でそれぞれのアイディアをスケッチ始めるのです。そう、別に若気のいたりタトゥーを消してくれる番組ではないのです。若気のいたりタトゥーの上から、それらを塗りつぶす形で新しいタトゥーを入れてくれるのです。3人のデザインとプレゼンを聞いて、そこから1つを選ぶと(拒否はできません、選ばないとなりません)、そのままシームレスに作業開始。完成すると「素敵だわ」と、実にあっさりと帰っていきます。

 

しかも、改訂版も全然大人の階段を上ってないんです。真っ青な蝶々が舞ったり、巨大な虎が睨みをきかせたり、骸骨が蜘蛛の巣に絡まっていたり、むしろ絵としてのクウォリティが高いだけにメッセージ性も強くなっています。タトゥーを入れること自体に否定的ではないのですが、多くの場合「なんでそれ?」や「なんでそこ?」がカルチャー的に理解できません。とは言え「じゃあ自分ならどんなタトゥーを入れるんだ?」と考え始めると、それはそれで答えがでません。きっと難しく考えすぎているんでしょうね。

定型の贅肉を削ぎ落とし残った本質を見せろ

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イースター休暇中はなんだかんだと忙しく、前回の投稿から随分と時間が空いてしまい、スミマセン。

 

 

・・・なんて言うのは嘘です。タイトルからも分かるかと思いますが、今回のエントリはちょっとめんどくさい話です。

 

何が嘘かと言えば「スミマセン」なんて思っていません。読んでくださる方がいるのはとても嬉しく、たまにコメントなどくれる方がいるのは励みブログを書くにあたっての励み以外の何物でもありませんが、自分の更新を喉から手が出るほど、首を長くして待っている人がいないことは知っているし、有料購読なわけでもなく「スミマセン」は不適当だと思います。でも、誰もこのエントリの1行目を読んで違和感は抱かなかったかと思います。

 

なんでなのか?いわゆる「定型」化しているからではないでしょうか?「ブログの更新の間があいた場合の典型的な文頭ってこうだよね」という。読む側も「あ、例のあれね」と深く理解せずに読み飛ばす。デジタルデータであれば、それは「容量」でしかない。今の時代にテキストデータの容量なんて誰も気にしないし、紙に出力するわけでもないからスペースも取らない。それは「無駄」だとは認識されない。

 

でも、自分は冷静に「無駄」だと思う。ブログの接頭辞程度の話であれば良いけれど、例えばスポーツ選手のインタビュー。インタビュアーはお決まりのどうでも良い質問をし、選手もそれにお決まりの解答をする。例えばこんな感じ。

 

A: 待望の今季初ゴールが決まりましたね?

B: そうですね。でも、自分のゴールよりもチームが勝てたことがうれしいです。

A: それではサポーターの方にメッセージを。

B: すぐまた試合がありますので、応援よろしくお願いします。

 

この会話に何の意味があるんだろうか?と思う。Jリーグでは、ほぼ全ての試合の後にほぼ同じようなインタビューが日本中で行われている。サポーターの自分としては、何か「彼しか言えない発言」があることを期待し、つい見てしまうが、結局いつもと同じ。選手たちの試合後の興奮さめやらぬ貴重な時間も、視聴者の見ている時間も無駄になる。例えば、昨今注目の国会中継でも、どうせ適当に交わされると分かっている質問をし、返答は適当に交わす。まさに予定調和。事務所に毎日更新しろと言われているから書いてます感が満載のアイドルやモデルのブログなんかも、どうでも良い部分と絵文字と広告を削除したら何1つ残らない。

 

聞きたいのは、知りたいのは「定型」「お決まり」「予定調和」を削ぎ落とした後に残った身の部分、そこにある本質だ。

 

冒頭の1行、嘘でないのは、なんだかんだと忙しくの部分。休暇あけは授業とエッセイ執筆が同時進行するので、休暇中に少しでもエッセイを書いておかなくてはと、相変わらずの図書館にこもる日々。写真は、昨日のランチ。毎日、こんな感じの味気ないご飯を食べ、ひたすら英語でのエッセイの執筆を続けていると、気持ちも荒んでくるのかも知れない。少し攻撃的なエントリを書いてしまいました。

40代海外留学のススメ⑤【デジタル篇】

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MBAで学ぶ全てのビジネスに関する科目で切り離せないもの、それはインターネットです。個人的には人類において活版印刷以来の大きな発明だと思っています。経済活動の中のすべての項目に大きな影響を与えていることは間違いありませんが、留学それ自体にも大きな影響を与えています。

 

当然、大学のキャンパス内はどこもWiFi接続が可能ですし、ビジネススクールの学生は全員入学時にiPadが一台支給されます。写真は授業の合間に、イギリスにいながらJリーグの試合の様子をチェックの図。デジタルネイティブではない自分は、ケースなどをじっくりと読み込む場合はやはり紙に出力したい派ですが、教授によってはエコを理由に紙の使用を極端に嫌いすべてデジタルで行います。バスも学食もいろいろなものがスマホ決済、コミュニケーションもはじめはWhatsAppとWeChatと言う2大派閥がありましたが中国人の数の理論でWeChatがクラス内での主要SNSになっています。台湾の子とはLINEでコミュニケーションしています。

 

もう時代が戻ることはないんだからそんなことを考えてもしょうがないと思いつつも、昔の留学生はどうしていたんだろう?と思わずにはいられません。グループワークのやりとりや、課題に疑問があれば、WeChatで即解決。エッセイを書くにはGoogle翻訳やGrammarlyは欠かせません。日常の中でも例えば「イギリスのレンタカーのチャイルドシートの規制ってどのくらい厳しいんだ?」「リーズで美味しいタイ料理屋はどこだ?」「病院に行くのに最短距離はどのバスだ?」と次々と「疑問」が湧いては検索し解決していきます。日本の家族や友人とも実に気軽にコミュニケーションがとれます。これ、ものすごく当然に毎日やっていることだけど、インターネットがない頃はどうやって「疑問」を解決していたんだろう?

 

1つには対人コミュニケーションしかなかったでしょう。その意味では現代は対人コミュニケーションが減ってしまっているというネガティブな側面もあるのかも知れません。ただ、このメリットとデメリットは比較対象にならない大きさです。加えて、ついついスマホやネットを見てしまって勉強に集中できないのは留学生にとっては大きな試練ですが、これは個人で解決できる問題でもあるし、留学に限った問題ではないですね。

 

もっと遡って江戸時代や明治時代に海外で勉強していた人たちのことを思うと、気が遠くなります。伝聞でしか知らない異国の地、服装や食事など文化がすべて異なる環境。頭がさがります。きっと彼らにとっては全てが驚きの連続で、その驚きの大きさも我々には計り知れない規模だったことでしょう。そして、国を代表して来ている使命からものすごく勉強したことでしょう。ついついエッセイの執筆に集中できず、だらだらInstagramFacebookなんかを見てしまっている時、自分は名も知らぬはるか昔の留学生の先輩を夢想し、気合いを入れています。

 

しかし、今後の流れとして就学それ自体のオンライン化も進んでいくでしょう。オンラインMBAの評価もどんどん上がっているようです。環境が変わらないので、勉強モードに脳を切り替えるのがむずかしいかも知れませんが、学習欲求が強くあるのであればそんなものは関係ないでしょう。仕事や生活を自国で続けられるのは経済的に大きなメリットがあると思います。海外留学で経験できる異文化体験や、クラスメイトの交流は出来ませんが、本来の目的である勉強とは関係ありません。子供たちとキャンパスを歩きながら、いつか彼らがここに通ってくれたらなんて夢想するけれど、未来はどうなっているのか、想像すらつきません。

40代海外留学のススメ④【折り返し地点篇】

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Leedsにも春が訪れたか?と思った途端に、また冬に逆戻り。相変わらずのサラサラな粉雪が舞い降る日が再びやってきました。

 

2学期の途中という中途半端なタイミングの今日から、約1ヶ月のイースターホリデーが始まります。ちょうどコースの半分強が終わったところなので、今回は今までの経験を振り返り、今後、MBAを目指そうとしている方に何か参考になりそうな情報を提供できればと思っています。

 

まず、常々書いている通り「英語」は巨大な壁です。自分はやや不純な「英語の上達」がいちばんの動機でMBAに来ていますが、ビジネスや経営を勉強したいと強く思っている方は、少なくとも英会話はしっかりと自信あるレベルになってから来るべきだと思います。せっかくの授業の吸収度合い、参加度合いがまったく違ってきます。「英語は行っちゃえばなんとかなるだろ」は大間違い、なんとかなりません。普通にドメスティックに英語教育を受けて育ってきて、留学のために勉強してTOEICで800点ちょいはあります、くらいだと苦しい思いをすると思います。我々のコースには日本人が3人いますが、日常会話の英語力、下から3人は日本人です。また、自分のように「英語もビジネスも」な人、自分はやや非効率な選択をしてしまったと思っています。二兎を追うものは一兎も得ずです。海外に1年いるならもっと基礎英語や英会話のレベルをあげる方法はいくらでもあるように思います。毎日、黙々と図書館にこもる日々だともったいない。もし、留学が既に決まっている方がこのエントリを読んでくださっているならば、出国前にとにかくできる限り英語力をあげることに集中することをおすすめします。

 

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次に授業内容です。時代とテクノロジーの進化の中、大学や大学院のあり方も問われているかと思いますが、MBAはその最たるものだと感じます。アメリカのMBAは分かりませんが、少なくともイギリスはMBAはアカデミックな学問を学ぶ場所とされています。ビジネスに必要な学問を学ぶ場所で、ビジネスを学ぶ場所ではありません。「授業内容が実践的じゃない」と嘆くクラスメイトが多くいます。自分の解釈では「体系だった普遍的な学問としてのビジネス論を学び、卒業後、それをベースに自分で考え飛躍する」場だと思っています。ビジネスの最先端を学ぶ場所ではありません。

 

ただ、それにしても、例えばデジタルマーケティングブロックチェーン理論なんかはふれるべき内容だと思うのですが、もちろん授業で扱われることはありません。やはり、学問として研究され、それが普遍化されるまでには時間がかかります。今だに1973年の文献とかを参照しながら2018年のビジネスをエッセイにまとめたりしています。いわゆる実践的なビジネス専門学校のようなものを目指すのであれば、それはMBAではありません。

 

ただ、ここで自分が重要だと思うのが「自分で考え」の部分です。クラスメイトを見ていて不安に思うのです。ほとんどみんな「自分で考え」ないんです。課題が出されれば、まず、Google、で、それらをパッチワークのように組み合わせて提出完了、最後までGoogleです。まず、Googleの前に進むべき方向を掘るべき場所を考えるべきだと思う。そして、Googleで出てきた知識や他人の考えに対して自分はどう思うのか?を加えるべきだと思う。これはいわゆる現代病の1つなのでしょうか?もちろん、その「考える」ことの大切さなんて大学院ではわざわざ教えてはくれない。グループワークをしたり、プレゼンを聞いていても何1つ新鮮なアイディアが出てこないのです。想像の範囲内、教科書通り。「ぶっとんでるオリジナリティのあるアイディアを出さなくては価値がない」という思考回路を普段の業務から持っているクリエイティブ出身の自分からすると、クラスメイトたちのアウトプットが退屈でしょうがないのです。

 

でも、これに関しては自分が間違っているのかもしれないとも思います。まずは「ベーシック」がきちんとこなせるかが重要視されているのかも知れません。と言うのが、他人とは違うアイディアをぶつけても残念ながら教授からは「なるほど、おもしろいですね」くらいの「ちょい褒め」で絶賛はされません。それは単にアイディアのレベルの低さなのか、やはりそこは求められていないのか、まだ図りかねます。

 

それから、クラスの中で埋もれないために何か1つ「特徴」や「特技」を持参できると良いと思います。特技と言ってももちろん「手品がうまい」とかではなく、クラスの中で活きるものを。ある程度「はったり」でも通用すると思います。自分の場合は「クリエイティブ」というほかの生徒には明確にない明らかな武器があります。グループワークやプレゼンでもはじめから意図的にそこを強調してきました。「あたらしい未知のプロダクト」の提案では、旧知のCG屋さんにお願いしてプロダクトデザインを起こしてもらったり、マーケティング提案には広告ビジュアルのラフアイディアを入れてみたり。突然髪の毛の色を染めてクラスに行ってみたりも、好みの部分もあるけれど正直パフォーマンスの要素もありました。もちろんちょっとした書類やプレゼン資料のデザインへのこだわりは常に忘れません。そうすることで、明確なキャラ立ちに成功しています。プレゼンのスライドデザイン係を毎回やらされるのは困ったものでもありますが、クラスの誰もが自分とグループを組みたがってくれるのは悪いものではありません。

 

正直、ビジネスの視点で考えると世界のトップ校に行かないのであれば、エリートが集まる日本のMBAで母国語で深く熱い議論をした方が良いのではないか?とも思います。ただ、自分の場合は「異国の地で暮らす」という経験は得難いもので来てよかったと感じています。暮らしてみてはじめて分かる「文化」の存在。日本のこともこっちに来て以来よく考えるようになりました。インターナショナルな友達との出会いも貴重な財産です。同じ課題に苦労し、愚痴や噂話を言い合う感じは、通常の出会いでは生まれにくいものです。そして、家族の絆も深くなっているような気がするのです。

すみません愚痴を聞いてもらっても良いですか?

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タイトルで先に謝っておきましたが、今回のエントリはただの愚痴しかありません。いわゆる分かりやすく異国の地でカルチャーギャップに苦むはけ口にブログを使用させてもらいます。特にオチもソリューションもありません。

 

写真はロンドンのキングスクロス駅です。こういう景色を見るとイギリス素敵!文化を大切にしている!と気分があがるのですが、実際に暮らしているとそんなにあまい話でもありません。

 

NHSというのはイギリスの国民健康保険サービスです。留学生もVISAがあるので基本的に無料(処方箋の薬は安価)で医療を受けることができます。理念は理想的ですが、もちろんそんなにうまく運営できる訳もなく議論も様々です。複雑に入り組んだそれらの問題に首を突っ込むつもりはありませんし、ちょっとした風邪や子供の予防接種などの対応に関して、個人的には非常に満足しています。

 

こっちに来て割とすぐ、環境変化に伴うストレスなのかちょっとした蕁麻疹のようなものが全身に発生してしまいました。治療はスムーズに進んだのですが、脚の部分だけ、なかなか発疹が消えないため専門の皮膚科にて治療をすることになりました。NHS提携の皮膚科をGP(かかりつけ医)から紹介してもらったのですが、予約はインターネットではできず電話のみ。ただでさえ英語がままならないのに、電話英語は難易度が何倍にもあがります。まず、英語の問題で苦戦。NHSは混んでいて予約が取りづらいと聞いてはいたけれど、なんと3週間後(!)の予約を確保。そして来たる日を待っていると、診察の数日前に医師の都合でキャンセルになったので再度予約をしてくれとの手紙が届く。軽く絶望。

 

「3週間も待つのにどういうことだ!?また3週間待っていったいいつになったら・・・!」と鼻息荒くGPの窓口に駆け込んで見た所、あんがいスルッと別の病院を紹介。しかも勢いあまって「英語に難があるんだ!」と告げるとその場で予約を取りつけてくれました。結局これもまた約3週間後ですが、、、。

 

学生は当然ながら日中は授業があります。病院も日中しか営業していません。しかし、もうこのチャンスは逃してはならない!と、教授にかけあい授業の方を調整して、ようやく皮膚科に到着するもなんとこの日は看護師の問診のみ。身長・体重・血圧など基本情報を測定し、状況を告げ患部を見せ治療方針を相談するところで終わりました。紫外線を使った治療をすることになり、まずは来週また来てくれと。ここでまた予約問題が発生しますが、最悪授業の頭の数分は欠けてしまってもどうにか治療を進めることを優先しようと、翌週火曜日の朝8時30分からの予約を取り付けました。問診だけかい!?と肩透かしくらったけれど、この日はスムーズに進んだ感触がありました。

 

しかし、現実はそんなにあまくはありません。数日後に予約の確認の手紙が届きます。無料だからと簡単に予約をキャンセルされると、混雑を招くので事前にしっかり確認することはもちろん大切だと思います。しかし、そこにはなんと次回予約:9時40分からと記載。手元には8時30分からと書いた紙があるのに、どういうこと?9時40分からでは授業は欠席になってしまいます。予約の取消、変更の場合は事前に必ず連絡をするようにと書いてあるので、至急連絡するも週末は営業外。週が開けた月曜の今日、苦手な英語電話に勇気を振り絞り電話をすると、確かに自分の予約は9時40分からだと。8時30分からで約束したと言っても「そう言われてもシステムには」的な返答。まぁ、この人の立場的にはそうだろうなとは思いそこは引き下がり、予約の変更を申し出ると「こちらから新しい日時の案内を送ります」と。いやいや、こっちにも都合などあるんだからと、翌週の同じ時間(翌週はイースターで学校休みなので)に変更してくれと言うと、しばらくの間、そして「分かった、こっちで調整して案内を送ります」とのこと。結局、勇気を出して電話したのにこの場では明日の予約がキャンセルされただけで再診の日程すら決められず。案内の手紙が届いてみないとまだ何とも言えないけれど、いったい、自分は滞在中に治療を受けることが出来るんだろうか?と一抹の不安が頭をよぎる。大したことのない症状なので、まぁ構わないけれど、これが深刻な症状だったら大問題だ。

 

あぁ、書いたら少しすっきりした。

 

 

英語プレゼンも内容でカバー

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今年の冬はヨーロッパ全体が異常気象なようですが、ここリーズでも3月にして連日の雪。大学院の授業は平叙運転ですが、娘の学校は休みになっているようです。こっちの雪は東京の雪と違って、驚くほどにサラサラの粉雪。ぎゅっと固めてもサラっとこぼれ落ちてしまうので雪合戦の玉すら作れません。こんな雪でスキーを滑ってみたかったです。

 

さてMBAの2学期の話。今学期はグループワークとケーススタディが中心。多くの授業でケースプレゼンがあります。具体的には、授業で学んだ理論の応用編の形で「実際に起こった事例」がケーススタディとして提示されます。それを授業外の時間にグループで読み込み、議論し、次回の授業の中でプレゼンをします。

 

やはりここでも鍵になるのは英語力。まずケースを読むにも結構な時間がかかります。次に議論です。イニシアティブをとろうと事前に準備してきたセンテンスを駆使し、先制パンチで持論を展開するも、勢いよくネイティブに反論をくらってしまうと、そもそも反論されてる内容すら半分程度しか分かりません。言い返したくてもモゴモゴしているうちに別の人が別の意見を言いそのままフェードアウト。実に悔しいです。

 

運が良く?悪く?自分のグループにはいつもネイティブがいます。最終のプレゼンの英語の文法や言い回しが完璧になるという意味ではネイティブがグループにいるのは圧倒的にプラスです。しかし、ネイティブがいると内容の良し悪しに関わらず上述のように大概彼らに議論をリードされてしまいます。また、ネイティブは既にこっち(英国)での生活もあるので、勉強するためだけにやって来ている留学生に比べてプライベートなども忙しいのでしょう。やたらとすぐに打ち合わせを切り上げたがります。短い打ち合わせを良しとする民族性なのかも知れませんが。また、同様にやたらと効率を求めるため、すぐに役割分担をしようとします。「ここは私がやってくる、ここは誰がやる?こっちは誰?」と言う具合です。最終的にみんなで分担したものを持ち寄って1つにくっつけます。広告代理店でプレゼン資料を作ることには慣れているので、自分はいつも役割を軽くしてもらって、みんなのスライドを一本化し、見やすくデザインする役割を頼まれます。正直、Keynoteでスライドを作ること自体は楽なので負担が減って歓迎なのですが、これだとグループワークの意味があるのかなぁ?といつも思います。せっかくチームで集まるんだからみんなで議論し、みんなで仕上げたら、面白いアイディアが出て来るだろうにと。

 

そんな中、今日のGlobal Marketing Managementのグループプレゼンは、珍しく(はじめて)納得が行く形でグループワークをやりきることができました。まず、大抵6人くらいいるチームが4人とコンパクト。内訳はネイティブがおらず、しかも日本人が自分ともう1人。内容も「中国市場にイギリスのビールメーカーが進出する際のマーケティング」と興味をそそる(ビール大好き!)もの。今回のプレゼンは成績評価の対象ではありませんが、必要以上に頑張ってしまいました。作業を分担することなく、頻繁に集まり、常にみんなで議論をする。つたない英語ながら時間はかかっても遅くまで議論を続ける。そしてスライド作りは多少負担になっても全部自分が引き受け、デザインにも力を入れました。マーケティングプランの提案ではありますが、プロモーション部分で広告ビジュアルも作り(と言ってもPhotoshopIllustratorを使うまでもなくKeynoteレベルですが)プレゼンしました。

 

決して4人とも英語は堪能ではなかったけれど、一生懸命プレゼンをしたところ、途中に挟んだ小ネタもヒットし、質疑応答が終わると拍手喝采。クラス内でのプレゼンに、こんなに拍手とかしてくれるんだ?と嬉しかったです。自分たちの前にもう1チームがプレゼンしていたのですが(正直、明らかに分担作業が見て取れる内容の乏しいものでした)教授が後の講評で2つを比べ、いかに我々のプレゼンが優れていたかを30分に渡り褒め続けてくれました。もう1チームに所属しているアメリカ人は、途中でよっぽど腹が立ったのか退席してしまいました。後から聞いた話では、教授は我々のプレゼンをよっぽど気に入ってくれたのか、後の別の授業でも「前の授業でのプレゼンが素晴らしかった」と言っていたそうです。

 

正直、科目もマーケティングなので、普段やっている広告のプレゼンの簡易版。課題解決という意味では、もちろん多少のアイディアは入れているものの決して大きな目うろこがある訳でもありません。しっかりとデータに基づいた、いわゆる正攻法です。正直、そこまで褒められるプレゼンをしたとは思いません。これも、うれしい反面、先日のテストと同様、少し拍子抜けもあります。「ん?この程度で良いのか?」と。

 

最低限プレゼンなんだから視聴者に分かりやすく内容を伝えよう。理路整然と1本筋を通そう。そして、聞いている人を飽きさせない工夫をしよう。これがプロジェクトの最初にグループに共有したリーダーとしてのブリーフです。逆に言うと、その程度のことが他のプレゼンではまったく出来ていません。

 

あぁ、あと英語さえ堪能であれば、、、また、同じ悔しい思いを強くしたのでした。